4.4  情報倫理


 情報倫理については、実践を開始した4月上旬と、情報倫理の単元の授業を実施する前後の9月上旬、下旬の3回にわたってアンケートを実施し、生徒の知識、意識の変化を見た。9月上旬の2回目の調査は、情報倫理の単元の授業を実施する前にも必要に応じてパスワードや著作権、メールのマナーなどの形で触れたことがあったので、そうしたことがどう影響しているかを見るための調査である。

 質問Bの被害の実態については、まだ被害に遭うほどの体験をしていない状況であり、今回の分析対象からは除外した。


4.4.1  用語知識の変化

 インターネットに用いる各用語の知識については、二回目の調査時点ですでに大きく理解度が高まっている。これはこうした用語が授業の随処に出てきた結果定着したものであり、また情報倫理という視点で実施された授業から得られる用語の知識が「ウィルス」「ネチケット」に限られたためであると思われる。このため、情報倫理の授業後には大きな変化は見られない。(図4-1)


用語知識の変化

図 4-1 用語知識の変化

4.4.2  意識の変化

 情報倫理の授業では、インターネット上での人権侵害を題材にしたビデオを視聴した。番組では、Webページ上に実名を公表し意見の主張をしたことがきっかけで嫌がらせを受けたり、日記の形式でWebページを作成したことでストーカーに付け狙われるようになってしまった例が紹介され、ネットワーク社会に積極的に関わろうとしていた人達がそうした事件をきっかけにだんだんとネットワーク社会を避けるようになっていく様子が伝えられた。半年間、面白おかしくパソコンを触ってきた生徒にはショッキングな内容であり、倫理観は大きく変化した。実践した授業が強く関与した様子がわかる。特に個人情報に関する意識の高揚が見られる。(図4-2)

 また、著作権や肖像権、商標など身近な事例を挙げて実施した以前の授業が伏線となり、ネットワーク上での差別や誹謗中傷といった人権侵害以外の自分たちの持つ権利を意識することもできるようになっており、情報社会を生きていく上で、自分自身の身を守ることの必要性と他者を尊重する意識の高まりを感じさせる。


倫理意識の変化

図 4-2 倫理意識の変化

4.4.3  態度の変化

 技術的なものを身につけたとき、試してみたくなるという心理が働くことはよくある。特に情報社会の機械化された部分では技術的な知識の有無が倫理観の形成に大きく関わる。理念として自分の個人情報は覗かれたくないから他人のもの詮索すべきでないということはわかっていても、そうしたことができる技術を身につけたとき、それを活用しないでいられるか。そういった部分の克服が倫理教育の一面でもある。とりわけ技術指導が中心となる教育機関ではそうした問題を多分に抱えているという指摘がある[高橋参吉,1998]。


4.4.4  体系的な情報倫理教育の必要性

 上記のように、特に情報倫理と銘打った授業をしなくてもある程度の知識や倫理観の涵養は可能であったが、単元として情報倫理を独立させ体系的な指導をすることで、生徒の態度は飛躍的に変化した。誤った情報から身を守るという、まさに情報社会を生きていくために必要な力を培うために必要な単元として独立して扱う必要性を強く感じた。これまでの情報教育では、情報社会の光の部分に注目することが多く、影の部分は後回し、または付け足し程度にしか捉えられていなかった。一般の市民に情報発信の手段が提供される情報社会においては、善意の市民だけでなく、悪意に満ちた情報も氾濫する可能性があり、現にフィルタリングやレイテリングという発想自体、そうした情報から技術的に子供を守ろうというものである。高等学校段階ではいたずらにそうした情報から生徒を遠ざけることに腐心するよりも、そうした情報の存在を認めた上で、どう対処すべきかを指導することが可能であると考える。

 授業の最後に書かせた記述には、「そうした現実は当然予想されることであり、21世紀の主役である自分たちがしっかりしないといけない」といった意思表明もいくつか見うけられ、この情報倫理の単元が、情報社会の影の面を伝えたものの生徒の恐怖感を煽るような結果には陥らず、情報社会を生きていくための現実を伝え、正しい知識と取るべき態度を指導する糸口となったことがわかる。

 今後、この領域の指導の必要性はますます高まると思われるので、体系的な指導のあり方を確立する必要がある。

4.4.5  実践全体に対する生徒の感想

 人前で意見を言うのはやっぱり今でも恥ずかしいけど、メディアを使って意見を主張することには抵抗が少ない。これをきっかけにだんだん人前でしゃべれるように慣れるような気がする。

 もっとコンピュータを触る授業だと思っていた。そうでないと聞いてちょっとがっかりしたが、取り上げられる内容が他のどの教科にも出てこないものばかりでとても面白かった。

 授業以外の時間にインターネットが自由にできるようにしてほしい。

 歴史の中に情報を見出す授業が印象に残っている。情報ってコンピュータがなくてもいいんだと思った。

 コンピュータはまだ家にないけど、とりあえず電話とファックスをもっと使いこなせば今より生活は情報化されるような気がする。

 コンビニの授業や情報倫理の授業などで、情報社会の裏側を見たような気がする。ボヤーッとしてたら生き残れないような気がする。

 ひとつのことをいろんな角度から見る癖がついた。ちょっとへそ曲がりになった気もするけど。

 いつの間にかワープロ打てるようになっていた。



4.4.6  生徒を評価する視点

 授業として行う限り、学年末には生徒を評価しなければならない。この授業では、表面的なスキルの向上を目指すものではないので、これだけのことができたら何点をつけるといった評価はなじまない。

 授業への出席や課題の提出状況は容易に差がつく要素であるが、提出された課題の優劣はつけにくい。例えば同じレベルの作品が提出されても、もともと表現に秀でた生徒は何の苦もなく仕上げたかもしれないし、逆にメディアを駆使して初めて自分の表現力を高めた生徒も存在しうる。こうした点を考えると、一つの作品から読み取れるものは少なく、諸外国の情報教育に見られるような一つのプロジェクトを通じた生徒の関わり方を評価するシステムの確立が必要になる。大きなテーマを与えられたときに、それを細分化して解決する力や他人と協同して解決する力などを自己評価、相互評価できるような学習指導が理想である。すなわちこれまでの既知の事象に対してどれだけ速く到達するかの評価観から、未知の問題に対してどういう手段を用いて解決に至るかを評価する視点が必要になる。

 今回の実践では、できるだけ生徒自身が問題解決の過程を発見していくように授業を構成したが、授業自体が生徒の発言から予想外の方向へ発展していくことが多く、適切な評価のための資料が十分収集されたとはいえない。こうした点は今後の大きな課題である。

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