4.1 情報を受信する力の育成
4.1.1 情報に気づく
情報の存在が歴史的に普遍であるという趣旨はこの授業を通じたテーマであったが、どうしてもコンピュータを用いた現代的な情報に目が行きがちである。この点を常に考慮したため、授業は情報機器を敬遠しがちになった。それでも生徒には「情報」を扱った授業であるという意識を持たせることには成功した。
三国志を読んだり自動販売機ごっこをやったり、コンピュータはいつ触るのかと思った。全部の授業を終わってみたらなんとなく意味がわかるような気がする。
授業では、道路標識を教材とした単元で身近なシンボルに対する意識の喚起ができ、人間の持つ色や形についての無意識な判断を脳における情報処理と捉えた。またコンビニエンスストアにおける体験は、知らないうちに自分たちが取りこまれている情報社会に気づかせ、身近にあるものを情報社会という視点で見直す姿勢をつけることができた。
この授業で一番印象に残ったのはコンビニの授業です。私の知らないところで私自身の情報が社会を一人歩きしていることがよくわかりました。少し怖いけどそれが社会なんだなと思いました。
課題の作成においては、自分の意見を補強する素材の検索の方法やその利用の仕方を指導した上で実施した。高校生の意見発表にありがちな独りよがりなものは少なく、異なる意見に対する論評のための素材も集めることができるなどした。
4.1.2 情報の取捨選択
あふれる情報の中から、重複した情報や不必要な情報を排除し、本当に必要な情報を抽出することは、今後ますます必要になっていく。
この授業では、テーマやキーワードといった言葉で、情報を絞り込む手法は学んだが、最終的に必要か不必要かを決めるのは自分自身であるという姿勢を持たせることが最大のねらいであった。同じ素材を提供しても、それを必要とする生徒とそうでない生徒が現れることはむしろ狙い通りであり、その価値判断の違いをテーマに授業が進められることもある。価値観の違いを共有することは他者を意識した情報発信にもつながる大切な視点であると考える。
4.1.3 情報の批判的な読解
身近な情報の多くは、新聞やテレビといった既存の完成されたメディアからのものである。そこから得られる情報はこれまでは鵜呑みにし疑うことはほとんどなかったといえる。この授業を通じてそうしたメディアから得られる情報も、そのメディアの立場や視点をというフィルターを通ってきた情報に過ぎず、そこにはメディアの意図によって真実に何らかの着色がされている可能性があることに気づいた。すべて懐疑的に見るのは本意ではないが、情報に対する姿勢として大切な視点である。
さらにその情報の本質を見抜くために、同じ内容を複数のメディアで確認したりし、得られた情報からできるだけメディアの意図を取り去る必要性も生徒に理解させることができた。このことは課題の作成において、自分の発する意見を批判的に見られることを意識させることにつながった。
新聞の読み比べは社会の時間にもやったことがある。NHKで取り上げたら信じてもよいかなと思うけど、この授業の後ではそれも怪しい。
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