ディジタル信号処理学習のための電子教材の開発

菱谷晋介1

目次

要約

本研究では,Software Defined Radio(以下,ソフトウェア・ラジオと略称する)を題材とした,ディジタル信号処理を学習するための電子教材を開発した。

ラジオ受信機の最も基本的な機能は,信号の選択(チューニング)と復調(検波)である。しかし,実用的な受信機であるためには,基本機能以外に増幅や発振,周波数変換,フィルタリング,周波数解析,自動利得制御,ノイズ除去,信号表示等々の多様な機能も必要となる。したがって,受信機は信号処理技術を幅広く学習する上で,極めて適切な教材ということになる。近年は信号処理もディジタル化され,これらの機能をソフトウェアで実現したラジオ,すなわちソフトウェア・ラジオも携帯電話などの形態で普及し始めた。ソフトウェア・ラジオは,その機能変更の容易さから,今後,ラジオ受信機の主流になると予想される。そこで,本研究では,ディジタル信号処理を学ぶための電子教材を開発するに当たって,ソフトウェア・ラジオを題材として選択することにした。

ディジタル信号技術は,実際の装置開発に際して使いこなせて,初めて習得されたといえる。したがって,ディジタル信号技術を学習するためのエデュテインメントとしては,「説明・解説⇨例題の実習⇨実験(学習者自身による信号処理ソフトウェアの開発と実証テスト)」という,教授,実習,実験が三位一体となったものが望ましい教材の形態である。ただし,信号処理のように高度な内容の場合は,やはり,分かりやすく書かれた文章をジックリと読むことが理解への最短経路である。一方,興味や動機付けを高く維持しつつ面白く学ぶためには,実習や実験を行うことが有効であり,このことを通じて理解も深化すると期待される。

そこで,本研究では,主としてテキストと画像,音声からなる解説と,実験・実習に使われるプログラを有機的に結びつけるために,ハイパーメディア形式の教材を開発した。教材の開発に際しては,内容の修正や今後の拡張には困難さを伴うが,ユーザーが比較的導入しやすいPDF形式と,開発には比較的手間がかかるが,開発環境の発展と今後の普及が期待されるSophie (http://sophieproject.org/) 形式の2つの方式を採用し,今後の教育実践で両者の長短を比較する基盤を作った。

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1 北海道大学大学院 文学研究科▲目次

教材の内容と構造

図1 本研究で開発した教材の内容

本研究で開発した,ディジタル信号処理を学ぶための電子教材の内容を,目次形式で現せば,図1のようになる。第1章では,学習内容とその構造を学習者に伝えるため,ソフトウェア・ラジオを作るのに必要なハードウェア的,およびソフトウェア的構成要素の概略が述べられている。第2章では,放送波をパソコンで取り扱えるオーディオ帯域の信号に変換するための,簡易な変換器について解説されている。第3章では,信号処理プログラムを作成し,動作させるための開発環境のインストール,使用法等に関して説明されている。第4章では,ディジタル信号処理プログラムの構成法に関する具体的な解説が開始されると共に,学習者による本格的な実習も始まる。第5章では,さらに高度な信号処理に関する説明と実習が行われる。また,それと同時に,さまざまな信号処理機能を,どのように組み合わせて実装すれば,ソフトウェア・ラジオが構成できるかを解説し,簡単なものから比較的高度なものまで,数種類のソフトウェア・ラジオの製作実習を行う。第4章のディジタル信号処理の基礎まではパソコンのみで学習可能であり,第2章で解説されたハードウェアは,第5章から必要になってくる(図2参照)。図2に示されているコンバータは,手軽に入手できるICを少数個使用した極めて簡易なものであるが,これと本教材内で開発されたソフトウェアの組み合わせによって,実際の放送聴取が可能になる。したがって,信号処理に関する学習者の理解はより深まり,また,パソコン上での実験や実習において起こりがちなリアリティの喪失という問題も,解決できるであろうと期待される。

本研究で開発した教材はハイパーメディア形式をとっている。図3に模式的に示したように,目次,本文,プログラム等の関連部分がリンクしており,解説を読みつつ即座に必要な実習が行えるようになっている。これらの教材は,極めて普及率が高いAdobe Reader (http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html) と,現在はそれほど普及していないが,今後の発展が期待されるSophie Reader (http://sophieproject.org/download/)で閲読できるよう,2種類準備した。両者とも導入コストが不要なだけでなく,多くのOSに対応しており,また導入も容易である。したがって,本教材の利用に際して,予算や時間という広義な意味でのコストは,かなり低くなると思われる。

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図2 ソフトウェアラジオのイメージ図

図3 ハイパーメディア形式の電子教材

Pd (Pure data)のインストール

図4 Test Audio and MIDI パッチ

本教材では,グラフィカルなデータフロー型プログラミング環境であるPd (Pure data)を用いて,ディジタル信号処理を学習する。したがって,本教材の使用に先立ち,以下のような手順でPdをインストールしておく必要がある。

  1. ダウンロード
    Pd Community Siteのダウンロードページ(http://puredata.info/downloads)を開き,使用しているOSやハードウェアに対応したファイルをダウンロードする。2009年2月3日現在では,本教材で使用する拡張パッケージpd-extendedの最新バージョンは0.40.3で,Mac,Windows PC用には以下の4つが準備されている。
    1. Mac OS X Intel (Mac Pro, MacBook, all Intel Macs)
    2. Mac OS X PowerPC (PowerMac, PowerBook with G4 or G5)
    3. Mac OS X 10.3 (For 10.3 "Panther" and older Macs)
    4. Microsoft Windows (2000/XP/Vista)
  2. 解凍とインストール
    Mac版は,何れもダウンロードすると自動的に解凍され,ディスク・イメージがデスクトップにマウントされるので,pd-extendedというファイルをハードディスクにコピーすれば,すぐにpdを利用できる。
    Windowsの場合は,解凍するとインストーラーが得られるので,これを使ってインストールする。
  3. Pdの起動とテスト
    インストールが済んだら,アイコンをダブルクリックして起動する。次に,Mediaメニューから,Test Audio and MIDIを選ぶ。そうすると,図4のようなパッチが開くので,矢印の部分をクリックする。低周波音が聞こえたり,それがノイズに切り替われば,Pdは正常に機能していると判断してよい。もし音が聞こえないようであれば,パソコン本体の音量やサウンド入出力の設定に誤りがないかチェックする。

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ハードウェアの接続

図5 各機器の接続

5章では,本教材の中で作成したソフトウェア・ラジオ用のソフトと,I/Qミキサを使用して実際の受信を体験する。そのために,各機器を図5のように接続する。

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PDF バージョンの使用方法

PDFバージョンの教材を使用する場合は,事前にAdobe Reader (http://www.adobe.com/jp/products/acrobat/readstep2.html)をインストールしておく必要がある。その後,CD-RのフォルダPDF_versionにあるBinder9.PDFをダブルクリックして起動すると,図6のようなページが開く。青い枠や青い下線の部分は,プログラムやURL,外部のファイルもしくはファイル内の他の場所へのリンクを示している。また,図6右側のパネルは,脚注をクリックして表示させたところである。これらのリンクや脚注,しおりを活用しつつ学習を進めてゆく。

図6 PDF版電子教材のスクリーンショット

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Sophie バージョンの使用方法

図7 Sophie版電子教材のスクリーンショット

Sophie は,ネットワーク環境下で動作する,リッチメディアドキュメントを作成,閲覧するためのソフトウェアである(http://www.sophieproject.org/)。テキストや画像だけでなく,音声,動画などを取り込んだ,リッチメディアなコンテンツを作成,閲覧する環境はさまざまあり,もっともポピュラーなのは,Macromedia社(現在は,Adobe社に買収された)が開発した Adobe Flash である。Flashファイルは,Flash Player という無料の再生環境をインストールすることで容易に再生・閲覧することができ,利用者にとって,それほどハードルは高くない。しかし,Flashファイルを作成するには,専用のソフトウェアが必要であり,決して安価であるとはいえない。無料の開発環境も一部あるが,本家のAdobe Flashに比べると資料が乏しく,初心者が開発するにはややハードルが高い。Sophie は,閲覧にあたって,専用の再生環境をインストールする必要がある(その点は,Flashも同様である)が,修正BSDライセンスによるオープンソースソフトウェアであるので,無料で使用することができるし,開発環境も同じ修正BSDライセンスであるため,無料で利用することができる。Sophieの開発手順については,マニュアルがPDFファイルで提供されており,全て英語ではあるが,それほど難しくはない。多少癖はあるものの,一般的なWYSWYGエディタと同じような作業感覚でドキュメントを作成することができる。Sophieのファイルは,Flashと同様に,画像,音声,動画などのリッチメディアファイルを埋め込むこともできる。

Sophieバージョンの教材を使用する場合は,事前に閲覧用のSophie Readerを,プロジェクトのWebサイトからダウンロード(http://www.sophieproject.org/download/),インストールしておく必要がある。Sophie Readerは,Windows用,Macintosh(OS X)用,Linux用が用意されている(2009年2月6日の時点でのバージョンは,1.0.4)。しかし,まだ多言語対応の部分で問題を抱えており,日本語の表示が,使用するPCの環境に大きく依存する。

Sophie 版の教材は,CD-Rのフォルダsophie_versionに収められている。Sophie のファイルはブックと呼ばれており,いずれもsbpfという拡張子を持つファイルである2。本教材は,目次(SDR_toc.spbf),章(chapterX.spbf),付録(appendixX.spbf),ソースコード(srcX-X.spbf)ごとに,独立したブックとして構成されている。Sophie Reader が起動すると,図7のようなページが開く。ページの移動は,画面右下にある矢印のボタンをクリックする(次,もしくは前のページへ移動できる)か,ページ番号を入力する。左下にはズームの倍率を指定する選択ボックスがある。コンテンツ中の文字色が青くなっている部分に,マウスカーソルを持って行くと,色が赤く変わる。その部分は,別のブック(別の章など),ブック内の別のページ,脚注,あるいはブックに埋め込まれたメディアファイルへのリンクとなっている。また,文字色が緑の箇所で,マウスを持って行くと色が赤く変わる部分は,ネットワーク上のリソースへのリンクとなっている。この部分をクリックすると,Webブラウザが起動して,該当のページを表示する。これらのリンクや脚注,しおりを活用しつつ学習を進めてゆく。

Sophieは,現在も開発が続いており,2009年10月にメジャーアップデートとなる,バージョン2.0がリリースされるようである。

2 実は,spbf は単一のファイルではなく,フォルダである。Windows 版の場合は,フォルダを開き,中にある,spb ファイルを開くと良い。Macintosh OS X では,このフォルダはパッケージとして構成されているため,あたかも単一のファイルであるかのように見える。

Sophie バージョンにおける日本語フォントの問題

Sophie バージョンの教材は,日本語フォントとして,Mac OS Xにデフォルトでインストールされているヒラギノフォントを使用している。このフォントはWindowsにはインストールされていないため,Windowsでは日本語が表示されない。残念ながら,Sophie は,多言語対応の部分で,まだ困難を抱えており,Windows や Macintosh といったOSの違いのみならず,同じOSでもバージョンの違いによって,日本語がうまく表示されないというトラブルを抱えている。例えば,マイクロソフト社のOfficeをインストールしたMacintoshや,Windowsでは,MS明朝・MSゴシックというフォントがインストールされる。しかし,著者らの環境でテストしたところ,Sophieのブックの日本語部分をMS明朝・ゴシックに変えてみた場合でも,Macintoshでも環境によっては(フォントがインストールされているにも関わらず)日本語が表示されず,Windowsでもうまく表示できなかった。Windowsでは,理由は定かではないが,ある一定サイズより小さい日本語部分が表示されなかった(24ポイント以上でないと表示されない)。また,Macintosh上のヒラギノフォントでも,同様の問題は発生するようである。少なくとも著者の環境では,14ポイント未満のサイズのフォントは表示されなかった。Sophie自体の多言語対応の整備が待たれるが,本教材の作成にあたっては,Mac OS Xを使用している読者をメインターゲットとして想定し,その環境で問題なく表示されるようにすることを目指すこととした。Windowsユーザーは,Sophieの開発環境を入手し,別のフォントに変更することでSophie版の電子教材を利用することができるかもしれない。興味のある方は是非試していただきたい。

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共同開発者:眞嶋 良全(北海道大学大学院 文学研究科)